辰年女の母は病院も薬も嫌いで、唯一歯医者には仕方なく行ってる人だ。
そんな母も84才。色々不調がでてきて普通ではあるが、ここにきて、ガタが現れた。
私を産んだ時以来だと51年振りに入院し、手術をした。
術後3日目に談話室での面会を許され、向かっていたら、病室の廊下から、まるでスキップしていたかの勢いで、手術した方の手に老眼鏡・財布・携帯を持ってニッコニコで母が現れた。
え?あれ?って娘はなったわよ、ほんと。
手術したよねぇ?ってな程の元気さで仰天した。
と言っても、話を聞けば、術後はうなされ、痛みも伴う時間を過ごしていた。
私が40才を過ぎた頃からかな。悩み事や悲しい事や困った事があると、いつでも母に電話をかけて聞いてもらい、元気と知恵をもらうよになったのは。で、それは、50才前から激しさを増し、誰にも打ち明けられない心の動きも聞いてもらっている程で、大きな心の支えの柱の存在である母なのだ。
そんな母ともいつの日か、別れがくるのは知っているけど、認めたくなくて、私にはそんな現実起こるはずはない、と信じ込んでいる私がいる。
、、、、
わかってますよ。。わかってます。。。
で、病理検査の結果、フルコース治療を勧められたとの事で、父も母も悩み、フルコース治療をうける決断をした。
弱音をほぼ吐かない母だけど、さすがに、心痛めていた様子だとの情報を耳にしたので、突然、野菜を担いで実家に顔をだしたら、元気で、もう、しっかり、腹括って、前向いて、目を真っ黒にして活力に漲っている母がそこに居た。
24時も近くに時間に行ったのに、2014年のジョコビッチvs錦織選手の試合をバックミュージックにチラシを眺めていて「あら、びっくりしたわ、泥棒さんかと思った」って、泥棒に「さん」つけるその余裕っぷりに胸をなでおろして笑った。
云うても、本人はキツイはずで、、なのに、生きてる事?人生?を楽しんでるのか、なんだろ、言語化できないけど、母から醸し出される雰囲気は私の狭い世界の思考をぶっ飛ばし、ハートにドスンと何かが響き渡るのだ。
これが、親の背中を見て育つってやつなのかな。。
「この歳で病気になるのは、自然なことで、人はいつか死ぬんよ。全部初体験で楽しいに。」
って云う。なんだよなんだよ、あたしなんてさ、くっだらない事を沢山起こして心配かけて、なんなら迷惑もかけて、傷みすら感じてもらってるのにさ、あたしのくだらない出来事がさ、ちっぽけに感じちゃって
自分のちっささに笑えてきちゃって。
カラダはって、娘に生きるって事を魅せてくれてんだよねいつまでも…
そんな母は、腹括りの一つにウィッグを買いに行くというんで、えっちゃんも行く!と無理矢理ついていった。
姉と娘と4人でランチして、その後初のウィッグ屋さんに行ったら、個室でプライバシー守られてる中、説明してくれて、セミオーダーで母のヘアースタイルを作ってくれた。
スタイル作成中の待ち時間には我慢できず、並んでいるウィッグに手を出し、皆でカブって大爆笑した。勿論、母も承諾で、こんな経験そうはできないんだから、楽しんであそびんしゃい。って(笑)最後には母のサイズに仕上がった母用のウィッグまで被って喜んで来た。
いやさ、途中でさ、母、自分のかつら姿みてさ、がっかりしてたよ。鏡みとぉないわぁ・・って言ってたよ。
けど、最終的には全ての状況や気持ちも許容して噛み締めている様子だったが、こんな大金払って、抜けなかったらどうしましょ。って、副作用でない心配までし始める始末な程、全てを心地よい捉え方にもっていく姿勢に、傍にいる娘と孫は母から大きな心のギフトをもらっていた。
店を出た頃には薄暗くなって帰宅時間だけど、4人とも楽しくなっちゃって、お茶しよ!ってケーキ食べながら、お店での動画を見て、涙流して大爆笑し、その写真や動画を家族LINEに送ったら、皆、気を使って、「キュート」「にあうよ!」とかやさしい言葉をかけてくれているのに、そんなのお構いなしにふざけて他のウィッグして笑ってる動画を送って、他の家族に引かれ、その様子にも4人で大爆笑するという、なんとも雄大な時間を過ごした。
今回の母の一連の事象から、今まで、どれだけ日々を雑に過ごして来たのかと、身に染みて体感している。
悩み事、心配事、あるんだけど、なんか、どうでもよくなってきた。とても小さい事に感じられちゃって。
父と母の生き方、捉え方、選択の決意が、51才の私に大きな影響を与えてくれている。
生きてる人の生の声、背中って、凄い力がある。
そして、自分にもパワーが眠ってるんだわ。
目が覚めてきた。
感性、感度、もっともっと、深く深く、見てあげる勇気が湧き始めてきた。
今日のイラスト~母むっちゃんの初体験現場~