徒歩通勤を始めてしばらく経つけれど、改めて気づいたことがある。
30分の道のりは、ただの移動時間じゃなくて、自分を整えるための大切な「儀式」だったのかと。
今日は久しぶりに電車に乗る用事があった。懐かしいなと思いながら駅へ向かったけど、それも束の間。
電車の扉が開いた瞬間から、私は社会という名の大波に飲み込まれたよね。
ホームでは、早く乗りたいおばさんが肩を押し合い、まるで小さな戦場。その波に流されて車内に乗り込むと、隣の女子が突然セルフ美容室を始める。彼女の髪が風のようにバッサバッサと舞い、私の顔に当たりそうになるたび、心の中で「頼むから家でやってくれよ…」と溜息が出た。
目の前では、幸せそうなカップルがねっとりいちゃいちゃと盛り上がっていて
「いや、幸せは祝福するよ。だがよぉ、美しくないんよ…」と心でツッコミを入れつつ、視線をそらすのに必死だった。なんなら、隣の席譲ってあげた。座ってる女子と立ってる男子ね。
極めつけは、頭上から降り注ぐ謎の鼻息。見上げると吊革につかまったお兄さんが私の真上で、なんとも形容しがたい香りを放っている。そりゃもぉ、逃げたくなったさ。マスクの効果ないもん。
はぁ…久しぶりの電車が私をこんなにも疲れさせるとは、思いもしなかった。
目的地に着いた頃には、完全に憔悴していて、徒歩通勤の静かな時間がどれだけ贅沢だったか、改めて思い知らされる一日だった。
だけどちょっと思ったことがある。電車って、小さな社会そのものだなって。いろんな人がそれぞれの事情を抱えながら、必死にその場を生きている。私はその中に入った途端、自分のペースが乱れてしまっただけだ。でも、「まあ、こんな日もあるよね」って受け流せる余裕があったら、きっともっと楽なんだろうな。
まぁ、まだできませんけども。