電話の向こうから懐かしい声が聞こえてきた。「久しぶりねぇ、えりちゃん!」と親戚のおばちゃんが笑っている。どれぐらいぶりだろう。記憶の中のおばちゃんは、子どもの頃、私をいつも心配そうに見ていたあの人だ。
「元気にしてた?」と私が聞くと、話は自然に昔のことに移った。何気ない話題が続く中、おばちゃんはふとこう言った。
「えりちゃんのこと、昔は一番心配だったわ。」
その言葉に、一瞬、心の中で何かが引っかかった。
「心配だった」——その響きが妙に重たく感じられたのだ。もちろん、悪気はないのだろう。むしろ、彼女の中ではそれが愛情の表現だったのかもしれない。でも、私にはどうしても「大丈夫かしら、この子」と眉をひそめるようなニュアンスに聞こえた。
子どもの頃の私を思い返す。確かに私は「変わった子」だった。常識もよくわからないし、学校では勉強についていけないし、何かと落ち着きがなくて、どこかフワフワしていた。周りの大人たちはそんな私を「危なっかしい」と思っていたのだろう。家族や親戚、みんなが私を気にかけてくれた。でも、それは「応援してるから見守る」という明るいものではなく、どこか「この子、大丈夫?」という冷や汗交じりの心配だったのだ。
「そんな風に見られてたんだよね」と、今さら思い返してみても仕方がない。分かっていたことだ。それでも、おばちゃんにその言葉を聞かされた瞬間、私はなぜか、心の奥で悲しみを感じていた。
電話を切った後、私は一人で窓の外を眺めながら、自分自身に問いかけてみた。
「どうして、こんなに悲しい気持ちになったんだろう?」
おそらく、子どもの頃の「心配されていた私」に引き戻されたからだ。周りの大人たちの目に映る私が、どれほど頼りなく見えていたのか、痛感させられるような気がした。あの時、私は何も知らなかった。社会のルールも、常識も、安定した心の持ち方も。でも、それを責められるたび、私はもっと自分を責めた。
「私ってそんなにダメだったの?」
そう思いながら、必死に大人たちの期待に応えようと頑張ってきた。その積み重ねがあったからこそ、今、私は何とかここまでやってきたのだ。
でも、今の私だって完璧なわけじゃない。まだ「周りと同じくらいの感覚」になれたかどうか、正直分からない。でも、それでも、ここまで来たことは事実だ。たくさんの失敗やつまずきを経て、私はここにいる。
なんて、小説風に書いてみた。
つぎは、オネェ風にしてみたから読んでみてちょうだい!
あたしね、この間、久しぶりに親戚のおばちゃんと電話したのよ。あの人、子どもの頃から私をよーく心配してくれてたの。まあ、心配っていうか、ほら、「この子、大丈夫かしら?」みたいなやつ。ああいうニュアンスって、案外傷つくのよねぇ。
でね、会話もそこそこ盛り上がってたんだけど、ふとおばちゃんがこう言ったの。
「えりちゃん、昔はあんたが一番心配だったわ~」って。
はぁ~!?って心の中で叫んだわよ、もちろん。だけど、大人の対応、見せつけてあげたわ。
「あ、そうだったのね~、ありがとう~」なんて言いながらね。でもよ?これ、感謝すればいいのか、それとも「私、そんな危なっかしい子だった?」って泣けばいいのか、正直わかんなくなるじゃない?
だって、あの頃の私ってね、確かに変わった子だったわよ。常識ないし、勉強もできないし、ほんと、何も知らないのに知ったかぶりする子どもだったのよ。でもさ、それって別に罪じゃないわよね?誰だって子どもの頃は変なもんじゃない?
でもね、「心配だった」っていうその一言に、あたし、久々に心の奥がザワザワしたわ。いやね、わかってるのよ。「愛情の裏返し」だって。だけど、「応援してるよ!」じゃなくて「おっとっと~、この子は危なっかしいわ」って思われてたのよねぇって考えたら、なんかさ、過去の自分がかわいそうになっちゃったのよ。
でさ、電話切ってから思ったのよ。
「なんでこんなことで悲しくなるんだろ?」って。
まぁ、それはさ、あたしの中にまだ「昔の自分」が住んでるからなんだろうなって気づいたのよ。あの頃の自分、たくさん失敗して、つまずいて、そりゃあ迷惑もかけたわ。でも、そんな私がいたから今の私がいるのよねぇ。
で、これもまた気づいたの。
「えりちゃん、あんたよくやってるじゃん?」って。そりゃ完璧な人間なんていないわよ。でも、あたしがちゃんとここまで来られたのは、あの「危なっかしい私」が必死に頑張ったからなのよ。そう思ったらさ、昔の自分に感謝したくなったわ。
そんなわけで、読んでくれてありがとね~!過去の自分も愛して、未来の自分を楽しみにしながら、今日もやってきましょ♡