デッサン。それは私の人生には無縁のものだと思っていた言葉だ。学生時代、鉛筆を握って何かを描くなんて、ほんの数回だけ。それも記憶の彼方に追いやられるくらい、大して感動もなかった。
それが今、52歳になって突然「デッサン教室」に通っている。これだけでも、昔の私が聞いたら爆笑していただろう。でも、始めてみたら、これがとんでもなく面白い。
初めて向き合ったのは、石膏像。動かない、静か、じっとこちらを見ている。それなのに、描こうとすると難しい。形が目の前にあるのに、それを紙の上に再現することが、こんなに大変だとは知らなかった。見えているはずなのに、鉛筆はなぜか私の意思を無視して、まるで別のものを描いているようだ。
6時間かけて仕上げた初作品を見た瞬間、私はこう思った。「これでいいわけないじゃん!」と。悔しさがぐるぐる回ってくる。でも、その悔しさの奥に、「もっと上手く描きたい」という強い気持ちがあることに気づいた。なんだ、この不思議な感覚は。
先生は言う。「デッサンは見ることが全て。描くことは後からついてくる。」その言葉を聞いたとき、「なるほど!」と妙に納得したけれど、実際にやってみると全然違う。影をつけると濃すぎる、形を取ると歪む。それでも、先生が教えてくれる視点は新鮮で、まるで自分の知らなかった世界を見せてもらっているようだった。
デッサンを描くたびに思う。「もっと、もっと!」と。何に向かっているのか分からないけれど、もっと上手く描ける自分を想像している。未完成な自分を認めながら、それでも次に進む理由がここにある。
この先どうなるか分からないけれど、とにかく描いてみたい。それがデッサンの魅力だ。完璧には程遠いし、きっとずっと未完成のままだろう。でも、その未完成の中にしか味わえない喜びがある。それが、52歳の私が出会った「デッサン」の世界。
いざ!